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良質乳生産に向けた乳房炎コントロール

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No1 牛の乳房炎の現状と課題

酪農学園大学教授 農食環境学群 循環農学類 教授菊 佳男

酪農業界において、乳房炎は常に重要な課題として取り上げられています。乳房炎は乳用牛の健康とウェルフェアに深刻な影響を与えるだけでなく、乳製品の品質や生産性にも大きな影響を及ぼします。そのため、良質な乳製品を生産するためには、乳房炎のコントロールが不可欠です。本連載では、乳房炎の問題を理解し、そのコントロールに向けた効果的な戦略や最新の取り組みについて紹介していきます。この連載が、良質乳生産に向けた乳房炎コントロールの新たな情報と最善策を皆様に提供し、酪農業の持続可能性と生産性向上の一助となれば幸いです。

はじめに

牛の乳房炎は、病原微生物の乳房内感染によって引き起こされ、乳質ならびに泌乳量の低下を招く疾患です。この疾患は、乳用牛において最も発生の多い疾患であり、酪農経営に非常に大きな被害を与えています。日本国内の乳用牛飼養頭数は年々減少が続いていますが、乳房炎を含む泌乳器病の事故発生件数はそれほど減少していません。その一方で、泌乳器病による死廃事故件数は20年前に比較し半減しています。

図1 日本国内の乳房炎の発生状況

図1 日本国内の乳房炎の発生状況

これは、近年の飼養管理や搾乳技術の発展、そして乳房炎の診断・治療技術の進歩によるものと考えられますが、乳房炎の発生自体を抑えることは依然として難しいことを示しています。
2021年度に公表された農林水産省家畜共済統計表によると、乳用牛等に係る病傷病類別事故件数は約140万件であり、その中でも乳房炎に代表される泌乳器疾患は約44万件を数え、事故件数全体の約3割を占めています。

図2 乳用牛の病傷事故件数(病名別)

図2 乳用牛の病傷事故件数(病名別)

この割合は、長年にわたって変わらないままです。乳房炎の損害は、生産乳量や乳品質の低下、出荷制限期間の生乳廃棄、淘汰更新費、治療費などの損失によって、酪農経営に重大な被害を引き起こしています。さらに、臨床症状の見えない潜在性乳房炎による乳量および乳質低下も考慮すれば、乳房炎全体の損害はさらに拡大すると考えられます。

乳房炎はなぜ発症するのか

乳房炎は病原微生物の乳房内への侵入(病原因子)が発症の原因ですが、それ以外にも畜舎環境や搾乳環境等(環境因子)と牛自身の免疫機能や乳頭の形状等(宿主因子)の要素も加わって、発症に至ります。

図3 乳房炎(感染症)発症の基本的な考え方

図3 乳房炎(感染症)発症の基本的な考え方

乳用牛が日々生活している牛舎内や搾乳施設、パドック、放牧地等の環境には様々な病原微生物が潜んでいます。病原因子である乳房炎の病原微生物は大部分が細菌ですが、乳房内は細菌の栄養源となる乳汁が豊富に存在し、それに加えて、細菌が増殖するために適した温度環境(38℃程度)が維持されています。また、乳用牛は搾乳を行っているため、乳頭口の閉鎖が甘くなりやすい特徴もあります。これらの状況の中、乳頭口から侵入した細菌が、牛の免疫反応を回避して乳房内に達した場合、乳房内で急激に増殖することで、「乳房炎」という乳用牛に特徴的な病気が発症します。これらの発症に至るメカニズムは、乳房炎防除には、病原因子、環境因子および宿主因子の様々な要因を考えながら、それぞれの農場や乳用牛に適した飼養衛生管理、治療および予防を行うことが重要であることを示しています。

乳房炎の原因となる病原微生物とは

乳房炎の原因菌は、感染経路の違いや存在場所によって、①伝染性乳房炎の原因菌と②環境性乳房炎の原因菌の2つに分けることができます。

表1 乳房炎の主な原因菌

表1 乳房炎の主な原因菌

伝染性乳房炎は、搾乳者の手指や搾乳器具を介して牛から牛へ伝搬する乳房炎です。主な菌種として、黄色ブドウ球菌やマイコプラズマがありますが、これらは、乳頭や乳房の皮膚表面、乳汁が付着したミルカー、乳頭清拭用タオルなどに存在しています。特に、黄色ブドウ球菌は菌の性質上、抗菌薬治療が効果を示しにくい細菌として知られています。また、環境性乳房炎は、土壌や糞便、牛床の敷料などの中に潜む病原微生物が原因となる乳房炎で、大腸菌群(大腸菌やクレブシエラ属など)や、環境性連鎖球菌、環境性ブドウ球菌などが知られています。特に、大腸菌群による乳房炎は、泌乳停止や死に至るような重篤な症状を示すことが多いため問題視されています。

乳房炎治療と問題点

酪農現場では、乳房炎治療に病原微生物(病原因子)の排除を目的として抗菌薬(抗生物質)を用いた化学療法が広く行われています。臨床獣医師は、臨床症状や飼養環境、乳房炎履歴などから乳房炎原因菌を推測し抗菌薬を選択する場合や、薬剤感受性試験の結果から効果の期待できる抗菌薬を選択することで治療を行っています。多くの乳房炎はそれによって改善しますが、残念ながら、良好な効果が得られず慢性化に至ることも少なくありません。その場合は、最適な抗菌薬が選択されていない可能性や、薬剤が原因菌に届かない状態である可能性が考えられます。このような時は、抗菌薬を過剰に投与する危険性があります。
現在の抗菌薬に頼った乳房炎治療の負の側面として、過剰な抗菌薬使用は出荷停止期間の延長や抗菌薬の乳汁中残留問題を引き起こすだけでなく、不適切な抗菌薬の使用は、人医療や動物医療で使用されている抗菌薬が効かない薬剤耐性菌の発生を促す可能性があります。抗菌薬の良い面と悪い面を考えながら適切な乳房炎治療を心掛けることは、獣医師だけでなく、消費者の求める安全かつ高品質な生乳を提供する生産者や酪農関係者の方々においても、認識を共有すべきことと考えられます。

乳房炎は予防が第一

乳房炎を予防するためには、病原因子、環境性因子あるいは宿主因子のいずれかを減らすことが重要になります。伝染性乳房炎や環境性乳房炎の原因菌は、搾乳衛生を守り、飼養環境や衛生状態を清潔に保つことで感染リスクを下げることができます。また、病原微生物の侵入口である乳頭口を守るために過搾乳を避け、高い免疫状態が保たれるような栄養管理やストレスの少ない飼育が望ましいでしょう。これらは、乳房炎防除の基本的な手法として長年伝えられていますが、基本を忠実に徹底することが乳房炎コントロールの鍵となります。